コーヒー

コーヒー飲んで集中力2倍!好きなコーヒーの歴史まとめ

Contents
  1. コーヒーの歴史全集
    1. 900年頃 医師ラーゼスによる初めての記述
    2. 1258年 飲み物としてのコーヒーを発見
    3. 年代不詳 エチオピアのヤギ飼いカルディのコーヒー発見物語
    4. 1454年 アラビアでコーヒー飲用が認められる
    5. 1510年頃 世界最初のコーヒーハウスが開店
    6. キャプテン・ジョン・スミスによりアメリカにコーヒーが伝えられる
    7. 1644年 コーヒーがフランスのマルセイユに伝わる
    8. イギリス最初のコーヒー店がオックスフォードに開店
    9. 1652年 ロンドンで最初のコーヒーハウスが開店
    10. 1657年 コーヒー最初の新聞広告がロンドンの「パブリック・アドバイザー」に登場
    11. 1683年 コーヒーハウスが三千店1714年には約八千店
    12. 1688年 アメリカでコーヒーに関する最初の記述
    13. 1669年 フランスの上流社会にコーヒーが伝わる
    14. 1683年 コルシツキーがウィーン初のコーヒーハウスを開店
    15. ナポレオンが通った「カフェ・ド・プロコープ」が開店
    16. 1695年 ババ・ブータンがコーヒーをメッカからインドへ持ち帰る
    17. ボストンで歴史に深い関わりを持つ「グリーンドラゴン」が営業開始

コーヒーの歴史全集

コーヒーを飲むだけでは無く知識もつけてもっと好きになって楽しくコーヒーライフを送っちゃいましょう

今回はコーヒーの歴史です

好きなコーヒーの事ならいくらでもインプットしたいあなたに向けて書いてます

諸説ある内容なども含まれますが愉しく学んでくださいね

900年頃 医師ラーゼスによる初めての記述

コーヒーの文献は、900年頃アラビア人の医師ラーゼスによるものが最初と言われています

彼は、コーヒーの薬理効果を認めていて、実際に、野生のコーヒーの種子(バン)の黄褐色の煮出し汁(カム)を「バンカム」と名付け、患者に飲ませていたそうです

彼の記した文献には、“バンカムには消化や強心、利尿の効果がある”という詳細な臨床結果が残されていて、これはコーヒーに関する最も貴重な初期の文献といわれています

「熱さ口当たりよさ第一級なり、人によりてはその興ざましなること第一級身体各部を強化し、皮膚を清めて湿りを取り去り、香りを生む」

とコーヒーの医学的な効能が表わされています

ラーゼスの文献後、イスラム教徒の医師アヴィセンナ(980〜1037)によっても同様の記述がなされています

コーヒーの記録は、こうして医師たちの手によって残されてきたのです

そのため後世においても、コーヒーは単なる飲み物にとどまらず、薬としても考えられるようになったのです

1258年 飲み物としてのコーヒーを発見

アラビアのモカ(現イエメン)の守護聖人シーク・スシャデリの弟子シーク・オマールは、モカで祈祷師として人気を集めていました

ある日、モカ王の娘の病気を祈祷で癒したとき、オマールはこの娘に恋をしてしまい、これが王に発覚

オマールはオウサブという地に追放されてしまいます

オマールは、この山中で素晴しい羽根をもった小鳥が小枝にとまり陽気にさえずるのを見つけました

その鳴き声があまりに美しかったので、思わず手をのばすと、木の枝々には花と果実があるだけでした

空腹だったオマールはこの果実を摘み取って洞窟に持ち帰り、スープを作ってみようと思いました

その果実からは素晴しく香りのよい飲み物ができ、飲んで見ると元気が出たような気がしました

それがコーヒーだったのです

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年代不詳 エチオピアのヤギ飼いカルディのコーヒー発見物語

アビシニア(現エチオピア)にカルディという一人のアラビア人のヤギ飼いがいました

カルディは、自分が世話をしているヤギが牧草地に生えている灌木の実を食べると、騒がしく興奮状態になることに気づきました

そこで、近くの修道院を訪ねてこの不思議な話を伝えると、院長も不思議に思い、その実の効能を自ら試してみることにしました

茹でて飲んでみたところ、気分が非常に爽快になったのです

これに驚いて彼は夜の儀式中に居眠りをする修道僧たちにも飲ませてみることにしました

すると効果てき面、弟子たちは居眠りもせずに勤行に励むことができました

やがて「眠らない修道院」の噂は国中に広まり、魔法の木の実が競って求められるようになったということです

1454年 アラビアでコーヒー飲用が認められる

アデン(イエメンの首都)のイスラム教師シーク・ゲマレディンが、1454年にアビシニア(エチオピア)に旅行した際、コーヒーの効能を詳しく知りました

アデンに帰国後、健康を害したゲマレディンは、アビシニアでのコーヒーのことを思い出し、効き目があるかもしれないと考えました

コーヒーを現地から取り寄せ飲んでみたところ、病気が治ったばかりか、眠気を追い払う効果があることにも気づきました

彼は早速、托鉢修道僧にコーヒーを飲むことを勧めたのです

アデンではこれ以前にもコーヒーの飲用は知られてはいたようですが、ゲマレディンのこの宣伝活動がコーヒー流行のきっかけになったのです

フランスの国立図書館蔵のアラビア語文献には次のような記述があります

「法律家や学生ばかりか、夜歩く旅人、芸術家など日中の暑さを避けて夜働く人々は、もっぱらコーヒーを飲むようになった」ということです

1470年 コーヒの木が移植された

アフリカのアビシニア高原から南アラビアのイエメン地方にコーヒーの木が移植された

1470年-1500年

コーヒー飲用がメッカとメディナに広まった

1492年 コロンブスがアメリカ大陸を発見

1510年頃 世界最初のコーヒーハウスが開店

アラビアを起源にイスラム教全土へと広まったコーヒーは、1510年頃、カイロに世界初のコーヒー店を出現させました

この当時、トルコでは、コーヒー豆を煎り、それを石臼で挽いて煮出して飲む方法が広く親しまれていました

1554年ダマスカス(現シリア・アラブ共和国)出身のシェムジと、アレッポ(現シリア・アラブ共和国)出身のヘケムが、トルコの首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)のタクタカラと呼ばれる界隈に、「カヴェー・カネス」という著名なコーヒー店を誕生させています

この2店が世界最初のコーヒーハウスと言われています

両店とも調度品と装飾に凝り、居心地は抜群で、社交の場としてトルコ人の熱狂的な支持を集めました

以後、トルコではコーヒーハウスが急増し、コーヒーはあらゆる階級に大歓迎されていきます

人気が高まるにつれてコーヒーハウスはますます豪華になり、深々と絨毯が敷かれ、サロンも併設されるようになりました

様々な国の商人や旅人、官職を求めて地方からやってきた法官、裁判官を目指す若者、官廷の役人などが訪れ、コーヒーハウスは「賢者の学校」とも呼ばれるようになったのです

1587年 シーク・アブダル・カディールが「コーヒー由来書」を著書

1592年 コーヒーの木と飲み物のコーヒーについて初めての印刷物に登場

プロスぺロ・アルピーニ著「エジプトの植物」

ヴェネツィア共和国のマロースティカに医師の息子として生まれたプロスぺロ・アルピーニです

ミラノ公国の軍に参加した後、おそらく父親に勧められて、1574年からパドヴァ大学で医学を学び始めました

優秀な成績で1578年に医学と自然科学の学位を得ました

1590年にヴェネツィアに戻り、1593年にパドヴァ大学の植物学教授に任じられた中東の植物を栽培し、著書”De liber Plantis aegypti”を執筆しました

1603年にMelchiore Guilandinoの後を継いで、パドヴァ大学植物園の園長を務めた

植物学の教授をする一方、医師の仕事も続けました

著書にはエジプトの植物について記述した『エジプト植物誌』”De plantis aegypti” (1592年)が有名であり、73の木版の植物図が含まれます

その他に、”De rerum aegyptarum”は死後に出版され、エジプト学の先駆的な著作であり、”De medicina Aegyptiorum” (1591年)はエジプトの医学について書かれた最初の書物であります

アルピーニの著書にはコーヒーやバナナやバオバオの記述があり図版も入っています

1598年

コーヒーという言葉が、パルダヌス著「リンスクーテンの旅」でchaoua(チャオウア)と初めて英語で記載される

1601年

コーヒーという言葉がW・パーリーの「シャーリー旅行記」でcoffe(コッフェ)と現代英語と近い形で登場しました

キャプテン・ジョン・スミスによりアメリカにコーヒーが伝えられる

アメリカに初めてコーヒーを伝えたのは、キャプテン・ジョン・スミスと言われています

トルコを訪れたときコーヒーに惚れ込んだジョン・スミスは、1607年に約100人の植民団を率いて、現在のバージニア州に上陸し、ジェームスタウンを創設

コーヒーは、この時一緒に北アメリカに伝わったのです

※アメリカでコーヒーに関するはっきりとした記述があったのは1668年のことでした

1615年 ベネチアに伝わる

1616年

ピエター・ファン・ブロークがモカから初めてコーヒーをオランダに運ぶ

1618年 三十年戦争

1625年 コーヒーに甘味を付けるの砂糖が初めてカイロで使われる

1640年 オランダの貿易商ヴルフバインが初めてコーヒーを輸入アムステルダムで売り出す

1644年 コーヒーがフランスのマルセイユに伝わる

P・ド・ラ・ロークは、フランス大使のM・ド・ラ・エイに随行してコンスタンティノープルに赴き、その後レバント地方を旅して回りました

そして1644年にマルセイユに戻った際、コーヒーを少量持ち帰りました

同時にトルコで使われていた陶磁器のコーヒーカップなどのコーヒーセットも持ち帰り、いずれも当時のフランスで珍品としてもてはやされたそうです

一般の人々にコーヒーが知れ渡ったのは

1672年にパスカルというアルメニア人がパリで初めて一般の人々にコーヒーを売った時のこと

サンジェルマンの博覧会のことで、一種のブースだったといいます

トルコ人の少年たちが給仕をしたり、小さなカップを盆に載せて人ごみの中を売り歩いて、コーヒーは博覧会に訪れた人々に

“小さなカップに入った美味しい黒い飲み物(プチ・ノワール)”と呼ばれて好評を博しました

この後、パスカルはレコール河岸のヌフ橋近くにコーヒーハウスを開業しましたが、東洋風カフェは外国人か貧困階級の人々のためのもの

というイメージがあり上流階級の人々が出入りしにくく、売り上げはいまひとつでした

パスカルは店をたたんで、コーヒーがひっぱりだこのロンドンへ移ってしまいました

本格的にパリ市民にコーヒーが広まるのは、純フランス風カフェの出現を待ってからになります

1645年 ベネチアで最初のコーヒーハウスが開店

イギリス最初のコーヒー店がオックスフォードに開店

1650年レバノン出身のユダヤ人ジェーコブズによって、オックスフォードにイギリス最初のコーヒーハウスがオープンしました

場所は、オックスフォードの「イースト地区セントピーター教区エンジェル」で、開店と同時にコーヒーは学生たちの人気を博し、飛ぶように売れたそうです

同年1650年 コーヒーがウィーンに伝わる

1652年 ロンドンで最初のコーヒーハウスが開店

1652年パスカ・ロゼーによってロンドン最初のコーヒーハウスがコーンヒルのセント・マイケル通りにオープンしました

パスカ・ロゼーは、ダニエル・エドワーズというロンドンの商人がトルコへ行った際に連れ帰った人物で、アルメニア人もしくはギリシャ人と言われています

当初ロゼーはエドワーズのためにコーヒーを入れていましたが、その珍しさから来客があまりにも多くなり、エドワーズはパスカ・ロゼーにコーヒーハウスを開くことを許しました

この店の開店をきっかけとして、コーヒーハウスとコーヒー飲用の習慣はまたたくまにイギリス中に広がっていったのです

英語によるコーヒー最初の広告は、このパスカ・ロゼーが出したチラシです

その中で、コーヒーの効能を次のように紹介しています

「コーヒー・ドリンクの効用、パスカ・ロゼーによってイギリス初お目見えです

この飲み物は、淡泊で口当たりがよく、熱さましに効果がある

毒気を抑えることにすぐれ、頭痛に効く

水腫、痛風、懐血病の予防と治療、また妊婦の流産予防にすぐれてい

3時間ないし4時間、睡眠を妨げる」などと、さまざまな効能が記されています

1657年 コーヒー最初の新聞広告がロンドンの「パブリック・アドバイザー」に登場

1657年5月、ロンドンの週刊新聞「パブリック・アドバイザー」紙にコーヒー広告が最初に掲載されました

広告文は以下のような内容でした

「旧取引所裏バーソロミュー通り

コーヒーと呼ばれる飲み物(きわめて身体によき天然の飲料、すぐれたる効能多し)

胃の孔を塞ぎ、体内の熱を強め、消化を助け、精神の働きを促し、気持ちを快活にする

ただれ目、咳、風邪、粘膜の炎症、肺病、頭痛、水腫、風疹、痛風、懐血病など多くに効く。午前中および午後3時に売る」

1658年

オランダ人がセイロンでコーヒーの栽培を開始

1660年

フランス最初のコーヒー商業輸入がエジプトからマルセイユ間で行われる

1660年頃 中国駐在オランダ人大使ニューホッフが、茶にミルクを入れる風習を見習いコーヒーに初めてミルクを入れる

1683年 コーヒーハウスが三千店1714年には約八千店

1663年頃 イギリスではコーヒーハウスは全て営業免許が必要になる

モカ・コーヒーの定期的な輸入がアムステルダムで始まる

1683年には3000店

1714年には約8000店に達した

コーヒーハウスではコーヒーとともに砂糖が消費され、さらに付随してタバコもさかんに吸引された

これらコーヒー・砂糖・タバコはいずれも三角貿易によって新大陸からもたらされたものであった

コーヒーハウスにはロンドンの市民たちが集まってきて、世界中の植民地から集まる情報の交換、そして情報の発信地となりました

新聞もそこに置かれて人々に回覧され、さらにコーヒーハウスを利用して手紙を交換する郵便の役割や、株式取引、保険などの役割も果たした

1688年頃始まるロイズ・コーヒーハウスが有名です

さらにピューリタン革命から王政復古期にかけて、政治議論が戦わされ、「世論」が形成される場となりました

王政復古期には閉鎖令が出されたが、税を払うことで存続し、コーヒーへの課税は政府の収入にもなった

1688年 アメリカでコーヒーに関する最初の記述

アメリカでのコーヒーに関する最初の記述が見られます
当時のニューヨークでは、コーヒーは煎った豆から作り、砂糖か蜂蜜を加え、シナモンで香りをつけて飲まれていたようです

1688年頃始まるロイズ・コーヒーハウスが有名です

さらにピューリタン革命から王政復古期にかけて、政治議論が戦わされ、「世論」が形成される場となった

王政復古期には閉鎖令が出されたが、税を払うことで存続し、コーヒーへの課税は政府の収入にもなりました

1669年 フランスの上流社会にコーヒーが伝わる

オスマン・トルコのモハメッド4世の命令で、ソリモン・アガがフランス大使として派遣され、ルイ14世に謁見した際に、トルコ式のコーヒーを紹介したそうです

 

ルイ14世をはじめ、宮廷の貴族たちは、この香り良い飲みものに驚き、すっかりとりこになりました

ソリモン・アガは、翌年5月まで大使としてパリに滞在し、その間、フランス上流社会にトルココーヒーを普及することに努めました

アガの屋敷はトルコ風の家具調度品や東洋磁器であしらわれ、トルコ風の髪型や服なども上流階級の人々にもてはやされました

彼の努力によって、トルコはフランスへコーヒーを輸出するようになり、のちにフランスの街にはカフェが誕生人々がコーヒーを飲める場所を得るようになっていきました

1670年

ドイツにコーヒーが伝わる

1683年 コルシツキーがウィーン初のコーヒーハウスを開店

オーストリア初のコーヒーハウスの開店は、トルコ軍によるウィーン包囲が契機となっています

この戦闘でのある男の活躍が、ウィーンに平和とコーヒーをもたらしたのです

1683年7月、トルコのモハメッド4世の命を受けたカラ・ムスターファは、30万の軍隊を擁してウィーンを包囲しました

神聖ローマ・ドイツ皇帝レオポルト1世とロレーヌ公国皇太子は町から数マイル離れた場所に陣をはり、町の内部にはシュターヘンベルグ伯爵の率いる守備隊が留まってポーランド王国からの援軍を待っていましたが

ひと月たっても援軍は来ませんでした

そんなときに連絡係を買って出た一人の男がいました

フランツ・ゲオルグ・コルシツキーという人物です

彼は、長年トルコ人と生活を共にしたことがあり、トルコの言葉にも習慣にも詳しかったのです

トルコ人の服装を身にまとった彼は、包囲網を突破してポーランド軍との連絡に成功しました

9月12日、合流したポーランド軍と皇帝軍は市内の守備隊と連絡をとり、ウィーンの内と外から攻撃を開始しました

この時、コルシツキーは攻撃開始の合図を伝えるために、再びトルコ軍の包囲網をくぐり抜けたのです

結果、トルコ軍は敗走し、後にはさまざまな物品が残されました

その中に大量のコーヒー豆がありました

戦利品は分配されましたが、コーヒー豆を欲しいという者は誰もいませんでした。使い方を知らなかったのです

ただ一人、コルシツキーが、「この袋に詰まったものを望む人がいなければ、私が所望いたします」と申し出ました

奇妙な豆が処分できるので、人々は喜んで彼に功績の報奨として与えました

そして数日後、コルシツキーはトルコ風コーヒーを飲ませるウィーン初のコーヒーハウスを開店したのです

1687年 ニュートン「万有引力の法則」を確立

ナポレオンが通った「カフェ・ド・プロコープ」が開店

1689年、それまで東洋風だったコーヒーハウスと一線を画した、純フランス風のカフェが登場しました

これが有名な「カフェ・ド・プロコ-プ」創業者はフランソワ・プロコープという人物です

フィレンツェ出身のシチリア人プロコープは、王室の許可を得て香辛料や氷菓、大麦湯、レモネードを販売する商人でした

彼は上流階級の人々を狙って、デ・フォセ・サンジェルマン通り(現在のランシエンヌ・コメディー通り)に

新築間もないコメディー・フランセーズの真正面に「カフェ・ド・プロコープ」を開業しました

場所柄、大勢の人々の溜り場になり、18世紀フランスの著名な役者、作家、劇作家、音楽家などが集う文学サロンとして人気を博しました

作家で啓蒙思想家のボルテール、文学者で思想家のルソー、劇作家で金融家のボマルシェ、思想家ティドロまた、ド・ベロワ、ルミエール、クレビオン、ピロン、ラ・ショセー、フォントネルなど、フランス芸術界の逸材たちが、カフェ・ド・プロコープの常連客だったということです

時代は下ってフランス革命期、カフェ・ド・プロコープは政治家やジャーナリストたちが激論を戦わせる舞台となります

マラー、ロベスピエール、ダントン、エベール、デムーラン等が、コーヒーを飲みながら焦眉の問題を論じあいました

当時しがない砲兵隊将校だったナポレオン・ボナパルトも、ここでチェスに興じていました

ある日、コーヒー代を払うよう求められた若きボナパルトは、つけの形に帽子を置いていったということです

1695年 ババ・ブータンがコーヒーをメッカからインドへ持ち帰る

イエメン地方のイスラム教寺院で栽培されていたコーヒーは、国外への持ち出しが厳しく禁止され、厳重な監視のもとにおかれていました

このコーヒーの持ち出しに成功したのが、ババ・ブータンというイスラム教徒のインド人でした

彼は聖地メッカへ巡礼にやってきた時、コーヒーをインドへと持ち帰りました

いわば盗み去ったのです

その後、南インドのマイソール海岸で栽培に成功しました

この木が原木となり、南インド一体はコーヒーの生産地として今に至っています

1696年

インド南部のマラバルから、初めてジャワ島にコーヒーの苗木が運ばれるが洪水によって壊滅しました

ボストンで歴史に深い関わりを持つ「グリーンドラゴン」が営業開始

17世紀も最後になると、北アメリカにはたくさんの居酒屋と宿屋が誕生します

その中でもボストンの商業地ユニオン通りにありコーヒーハウスを兼業していた「グリーンドラゴン」は、最も有名になりました

1697年から1832年まで営業していた「グリーンドラゴン」にはボストン茶会事件の首謀者や、独立戦争で活躍した人々、貴族や軍人などなど、その時代において活躍した様々な人が集まりました

政治家でもあり雄弁家でもあるダニエル・ウェブスターの言葉によると、この店は「独立戦争の本部」でもあったそうです

また、アメリカ植民地の自由を確保するための「対策委員会」が開かれたり、フリーメーソン大本部の会員たちもこの店に集まり、会議を開きました

現在、「グリーンハウス」があった場所は、フリーメーソン・セントアンドリュース本部の所有地になっているそうです

ここボストンでもコーヒーハウスは歴史に深い関わりを持っていたのです

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